レフティやすおの作文工房 -33ページ目

投稿する―オレ流ブログの書き方・その7

いよいよ投稿である。


最近は各社ブログ・サービスの投稿フォームが改善され、htmlタグが使えるようになったり、共通項が増えている。
私自身この各社の変更にまだついて行っていないので、ここで具体的に書くことは止めにしたい。
ごく簡単にふれておく。


7・各ブログ・サービスの投稿画面を表示する
8・原稿をコピーして載せる
9・記事を修飾する―まな板(各サービスの投稿フォーム)上で、原稿の文字をそれぞれのサービスにあわせて、絵文字を入れたり、文字に色づけしたり、サイズを変えたり、画像をアップしたり、リンクを張ったり、カテゴリを登録したり、等々。
10・確認する(プレヴュー画面で、最終チェック)
11・保存・投稿する(出来上がり)



文字の修飾について:

若い人にはこの方がわかりやすいだろう、齋藤孝氏の言うところの三色ボールペン方式に似たやり方で、重要な部分―自分の一番言いたいことは、基本的に太字で、その中でもさらに重要と言う場合は青文字赤文字を使い、自分の主観的な事項には緑文字を使う。

また、引用部分青文字を使うときもある。このときに他に強調したい部分があるときは、太字を併用したり、他の色を用いることもある。


とにかくここだけは読んで欲しいという部分は徹底的に目立たせることである。他の部分は読んでもらえば儲け物という位でいい。

とはいえ、色文字の中には見づらいものもある。背景色を使っている場合、背景色とのコントラスト、配色に気を使うこと。また、色覚障害いわゆる色盲と言われる人たちに配慮する必要もある

なんでも色を使えばいいというものではない。(これは自戒をこめて。つい確認せずに使っている。)


*

途中色々と邪魔が入って書き進められず、読者の皆様(あくまでも、いれば、の話だが)にはご迷惑をおかけした点もあったが、今回で各作業のアウトラインを追うシリーズは終了とする。

今後は、コメントとトラックバックについてなど、ブログを書き進める上での自分なりのルールというか、心がけていることに関して、暇を見て思いつくままに綴ってゆこうと考えている。

「左利きプチ・アンケート第17回 学校での配膳は左利きの子も伝統的ルールに従うべきか」のお知らせ

私の運営している、左手と左利きについて考えるホームページ『レフティやすおの左組通信』でほぼ月に一回の割で実施しています<左利きプチ・アンケート>の第17回目のお知らせです。

今回は配膳の作法について考えて見ます。日常茶飯事と言う言葉もありますが、ある意味では人生の最も重要な問題かもしれません。

食事の際には、左箸の左利きの人は(右利きの人に)人知れず気を使っているものです。できるだけ左側の席を取る、左隣の人と肘が当たらないように空きを取るように座る、さりげなく食器の配置を変えるなどなど。


* <左利きプチ・アンケート>第17回 学校での配膳は左利きの子も伝統的ルールに従うべきか *

 『レフティやすおの左組通信』掲示板でご相談を受けました、学校(幼稚園・保育所など)での配膳は左利きの子も右利きの子も一律に伝統的ルール(左側にご飯茶碗右側に汁物など)に従うべきかどうかについてお尋ねしてみます。

(相談者の場合は、私のアドバイスも参考に話し合いの結果、作法にとらわれずそれぞれ食べやすい配膳にする、とのこと。詳細は、お手数ですが下記のリンクより掲示板をご覧ください。)


 和食の場合でも洋食の場合でも、伝統的な配膳のルールでは右利きの人が食べやすい配置となっています。そこで、左利きの子は腕を交差させて食べなくてはいけない。そのため、つい汁物の入った食器を倒すなどの弊害があるようです。


 『*大 手 小 町* WOMEN 発言小町~左利きの悩み』http://www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200504/2005041500033.htm のなかでこんな意見も出ています。「和食の配膳のままだと食べづらいので、目に付かないようにこっそり影膳の配列に並べなおして食べて、またこっそり戻しておきます。」 <頑なに左手を使うことも無いですよ>


学校などではその子の利き手があらかじめわかっているので、それに応じた方法も考えられるべきかもしれません。反面、ひとつの作法として配膳の正しい方法を教えるチャンスでもあります。

家庭ではそれぞれの方針としてある程度自由に裁量できますが、学校などではどうあるべきでしょうか。


あなたは学校などでも、左利きの子も右利きの子と一律に等しく伝統に従った作法通りの配膳方法で給仕するべきだ、とお考えですか。それとも、それぞれの子に応じた対応をするべきだ、とお考えでしょうか。以下の中から一番ふさわしいと思うものをひとつお選びください。


*投票者の利き手別で選択肢を用意しています。ご自身でご自分の利き手を右もしくは左と、どちらか判断した上で投票してください。(どちらかの手が不自由等で必ずしも利き手を使っていない人は、実際に使っている手の方で投票にご参加ください。)

*一言言わせて、というお方は投票後に表示されます一番下の「ご意見ボード」をご利用ください。もっと言わせて、というお方は掲示板もご利用ください。貴方のご意見ご感想をお聞かせください。


1(右利きの投票者)伝統に則って右利きも左利きも同じく配膳する、勝手に並べ替えてはいけない

2( 〃 )伝統に則って配膳後、各自で勝手に並べ替えればよい

3( 〃 )伝統に関係なく、最初から利き手に配慮して、子供に対応した配膳をする

4( 〃 )わからない

5(左利きの投票者)伝統に則って右利きも左利きも同じく配膳する、勝手に並べ替えてはいけない

6( 〃 )伝統に則って配膳後、各自で勝手に並べ替えればよい

7( 〃 )伝統に関係なく、最初から利き手に配慮して、子供に対応した配膳をする

8( 〃 )わからない


※お手数をおかけしますが、投票は『レフティやすおの左組通信』 のアンケート欄よりお願いいたします。 ※レフティやすおの左組通信 掲示板

結果だけをみる

過去の全アンケートを再投票、コメントできるようにしました。
新たな投票、コメントをご希望の方は、『左組通信』のそれぞれの回のページでお願いいたします。

 ~過去に実施した左利きプチアンケート 一覧~
第1回 左利きイメージ調査    
第2回 左利きで困ったこと(物理的バリア編)  
第3回 左利きの子に右手使いを試みるか否か  
第4回 貴方の好きな左利きの呼び名は何ですか?
第5回 左利き?と思うのはどんな仕草ですか  
第6回 生まれ変わってくる時は右利きor左利き? 
第7回 左利きでも字は右手で書くべきか?
第8回 左と右を間違うことがありますか  
第9回 左手(左利き)用ハサミを知っていますか
第10回 過去のアンケートで最も興味深いのは何ですか
第11回 「利き手(左利き)の矯正」という言葉をどう思いますか 
第12回 左利きの人は器用だと思いますか 
第13回 推理物のテレビ・ドラマの〈左利きが犯人〉をどう思いますか
第14回 貴方の利き目は右左どちらですか
第15回  あなたのまわりに左利きの人はいますか
第16回  左利きと右利きとどちらが得だと思いますか


※本稿は、ココログ版「レフティやすおのお茶でっせ」 より転載して、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」 、および私の運営するブログ、アメブロ版「レフティやすおの作文工房」、ヤプログ版「「レフティやすおの本屋」店長日記」 に掲載しています。

下書きを書く(その四)原稿の最終チェック―オレ流ブログの書き方・その6

* 下書きを書く(その四)原稿の最終チェック―オレ流ブログの書き方・その6


6・原稿を広げる(原稿の首尾を見る―原稿段階の最終チェック)


いよいよ原稿の最終チェックである。


画面いっぱいに原稿のメモ帳を広げる。こうして全体を一目で見渡せるようにする。

段落ごとの量的なバランスを見る。―極端にばらつきがあるときは、どこかで文章の展開に波があると考えられるからだ。

展開に前後がないか見る。―各段落や具体例などのパーツの並べ方に前後矛盾があると、論理のつじつまが合わなくなる。

使っている用語の統一性を見る。―意識的な言い換えは良いが、無意識のうちに異なった表現が混じると読み手に違和感が残る。


:特に基準はないが、仮に起承転結と進める場合、1:2:3:4ならそれなりにバランスが取れていそうに思う。しかし、結部に4は多い気もする。結論なのだから、言いたいことの中心だ。ということは簡潔にこれと決め付ける方が読み手に親切だろう。1に削ってしまう。他に言いたいことがあれば、流れの中で述べて置くべきだし、同等に大事なことだというなら、また別の文章で論を張るべきだ。
全体としての分量に関しては、人それぞれだし、論の展開でも違う。
大論の場合は長くなるのも仕方ない気もするが、できれば、四百字原稿用紙で四、五枚までを目安にする方が良いだろう。素人の限界だと思えばいい。
文章を書く上では、切り詰められるならとことん切り詰めて、例えば四百字までにするといった訓練も役に立つ。
自分の言いたいことを明確にするために不要な物はどんどん切り捨て骨格だけにしてみるのも、基本的なテクニックを身に付ける練習方法のひとつだろう。


:起承転結と進めるなら、その通りに部品を配置すべきで、途中で思いついたように別の道を示すのはこれも読者に不親切だ。一本道を寄り道せず進む方がわかりやすい。
適当に茶々を入れたり、寄り道しながら進むのもひとつの展開の仕方で、うまく身に付ければおもしろい手法になる。しかし、これは技を磨いてからの話で、うかつに素人が手を出すと何を書いているのか論点が不明瞭になり、誰も読んでくれなくなる。


:例えば、一人称を表す言葉が「僕」だったり「私」だったり「オレ」だったりと、その都度違っているとその部分が気になってしまう。
私は自分自身を指す言葉として、基本的には「私」を使い、時に「筆者」という言葉を使う。この「筆者」を

使う場合、本の紹介記事ではその本を書いた人と混同するおそれがあるので、その本を書いた人は「著者」と呼び、区別している。
また、「左利き」は「左利き」で統一し、「左きき」といった表記はしないようにしている。もちろん商品その他の紹介で商品名やその商品の表記を引用する時はそのまま原表記を写すので、その際は別である。


最後に、もう一度一通り読み直す。
私もそうだが、読み直すのが嫌いな人がいる。しかし、これは絶対に手抜きしてはいけない
また、勝手に自分の「頭のなかの文章」を読んでしまう人もいる。目の前にある文章を見ていながら、実際には、頭の中の文章を読んでいるのだ。これでは確認にならない。


文章の論理の展開の不自然さだけでなく、字の間違いやてにをはの間違い、これらを恥と思えない人は困り者だ。
極端に言えば、論そのものに問題があっても良いが、そのスタイルや文章そのものに欠陥があってはいけない。それでは誰も読もうとはしない。いや、読めやしないのだから。
まず入り口を潜り抜けなければ先には進めないのだ。

問題がないと感じたら、いよいよGO! 投稿である。

下書きを書く(その三)―オレ流ブログの書き方・その5

 前回文末で「次回は、実際の投稿の手順など。」と紹介したが、まだ忘れ物があったので、「下書きを書く」を続ける。前回まで例に挙げていた記事(『お茶でっせ』の記事「人間の幸福、左利きの幸福」 )では画像は扱っていなかったので、つい忘れていた。今回は最近の『お茶でっせ』記事「勝手に左利き筆法になる?ヨーロペンYOROPEN」 を例にして書いてみる。


5 ・画像を用意する(画像を載せる時)

最近は、画像の扱いも各社色々なパターンを用意しているようなので、一言では説明しにくい。
今、私が標準で使っているのは、小画像が冒頭に入り、それをクリックすると元の画像がポップアップするもの。
元の画像をそのまま貼り付けられタイプもある。


本当ならそちらの方が読み手側の手間がかからず良いと思うのだが(以前はそのパターンを使っていた)、最近は投稿設定を変えるのが億劫になって、用意されたままに使っている。
年のせいか、投稿方法が改良?されるのについて行けなくなって来ている。
この辺はご自分で良いと思う方法をおとり下さい、としか言えない。


ただ、一部のブログでは一記事に付き一画像というところもあるので、画像を用意する場合、二枚入れたい写真があるときは画像を作り直す必要がある。また画像の大きさや全体の容量にも制限を設けているところもあるので、その辺も考慮する必要がある、と付け加えておく。

 

この記事では、投稿画像をひとつにしようと、各画像を合成してみた
ココログは何枚でも画像を組み込めるのだが、転載先のgooブログは一記事に付き画像が一枚と決まっているためだ。


まずペン自体を紹介するための、パッケージ込みの写真。次にペン本体の写真を二点(上から見たものと横から見たものと)―このペンの特徴である通常のペンとのペン先の違いを示すため。さらにその具体的な使い方を示す写真を二点(ペン先を真っ直ぐなままにしたものと右に倒したものと)。都合5点の写真を合成した。

フォト・エディターを使って各写真から必要な部分だけを切り取ってコピー、貼り付けして作成した。大きさは、320×240が標準になっているようなので、これに近い数字に合わせて作成した。今回は縦型にまとめた。

ヨーロペン

元になる画像はデジタル・カメラで撮っているのだが、私のカメラには、撮影の際にメール・サイズ(320×240)を同時に記録するという設定があって、それを使って撮っている。(他のカメラにもあるのかどうか私は知りません。)そして、その小さい方の画像を投稿用のベースに使っている


次回はようやく、「6・原稿を広げる(原稿の首尾を見る―原稿段階の最終チェック)」に入ります。

下書きを書く(その二)―オレ流ブログの書き方・その4

* 下書きを書く(その二)―オレ流ブログの書き方・その4

※今回も引き続き、『お茶でっせ』の記事「人間の幸福、左利きの幸福」 を例にとって説明する。


* 下書きを書く(その二)

3・取材する


メモに記入された要素書かんとする内容―主題を肉付けするための資料を集める

ものを紹介する場合それについての詳細情報考察文では論理を展開するための補強となる具体的な事実など。
本の場合は、手持ちのものはその都度参照できるので、特にメモをくわしくとる必要はないが、そうでない場合は、ネットを使ってできうる限りの情報をパソコンにプールしておく。
そして、いつ何時でも取り出せるように準備しておく。


今回は、まず種となる言葉があるので、これについて出典を明示する。
手元にある本の書名、著者名、翻訳ものなら訳者名、出版社名を書き出す。


次に、左利きについての普段の印象をまとめたメモを参照する。
パソコンの左利き関連フォルダーにあるものから、役に立ちそうなものをいくつでも取り出してみる。
それらをひとつの画面に載せて並列に表示してみる。
その中から本日の主題に沿うもののみをピックアップする。

4・パソコンのメモ帳に原稿を書く


これらのメモ用紙(カード)、または既にパソコンに入っているメモなどを元に、パソコンのメモ帳を起動して文章を書いてゆく。


文章を書く上で大事なことは、 まず、一番大事なことを先に書いてしまう
これは、書き忘れないため。私達素人の文章には往々にして、肝心要のことを書き忘れることがある。

あとは、文章の展開に沿って必要なカードを並べて、文章の段落ごとに書き出してゆく
できれば段落ごとに見出しをつけて整理する。
その後、各見出しごと―即ち、段落ごと―に、文章をまとめてゆく。


文章の書き方の詳細については、今後折にふれ別の形で書いてゆくつもりなので、ここでは詳述しない。


一応、起承転結といった基本的な流れに沿って、まとめるようにする。
結論が大事なことは言うまでもない。
あとはこれにいたる道を示せばよい。その道は曲がりくねった道より真っ直ぐな道の方がわかりよい。だからストレートに表現するのがよい。
なぜそういう結論にたどりついたのかを説明すればいいのだ。


 入り口となる事実 ⇒ さらなる具体例を併記 ⇒ 導き出される結論


といったものだ。前回示した例で言うと、


種:〔メモ1〕 ⇒ 種から:〔メモ2〕の断片A ⇒ 日常の印象から:断片B ⇒ 発想の転換:断片C ⇒ 結論:断片D


となる。


次回は、実際の投稿の手順など。

下書きを書く―オレ流ブログの書き方・その3

もうお忘れかもしれないが、前回は、1・何を書くか考える(テーマと仮題を決める) について書いた。

今回はその次の段階に進む。

 

2・メモを取る(チラシの裏を利用した手製のメモ用紙&パソコンのメモ帳を使用)
3・取材する(主に本・雑誌・新聞、インターネットでホームページやウェブログなど)
4・パソコンのメモ帳に原稿を書く

この辺はひっくるめて、下書きを書く、と分類していいだろう。

 

※以下引き続き、昨日(5月16日)の『お茶でっせ』の記事「人間の幸福左利きの幸福」 を例にとって説明する。

 

* 下書きを書く(その一)*

2・メモを取る


メモの取り方は、メモ用紙(※注1)に思いついたことを書き出してゆく。

基本的に一枚一項目。いわゆるカード方式だ。

今回のように、ひとつのところで使用するという使用目的があらかじめ明白な場合、あるいは共通の要素のあるものは、同じ用紙(ページ)に併記しても良い。


この記事の場合、種(核)となる言葉があるので、これをまずパソコンのメモ帳(※注2)に書き出す


〔メモ1〕

#

ベンジャミン・フランクリン『フランクリン自伝』松本慎一/西川正身訳(岩波文庫)

「人間の幸福というものは、時たま起るすばらしい幸運よりも、日々起って来る些細な便宜から生れるものである」

#

サミュエル・スマイルズ『自助論』竹内均訳(三笠書房知的生きかた文庫)

 「人間の生活は元来、比較的ささいなことがらから成り立っているものなのだ。ちょっとした行動のくりかえしによって人間の全人格は形成され、国家の性格も決定される。堕落した人間や衰退した国家には、必ずといってよいほど、ささいなことがらを無視して来た形跡が認められる。」
「日々の経験が教えてくれるように、ささいなことがらに不断の注意を払うことは人間の進歩の前提だ。そして努力は、幸運を生み出す母親とも呼べるものである。」


〔メモ2〕

断片A:種から―

 些細な事柄に向ける注意こそが、人の世を進歩させる原動力

 一見些細なことと見えるものの中にこそ、人にとって社会にとって大切なものが含まれている

断片B:日常の印象から―

 ちょっとした使いやすさが心にうれしい

 左利きの人には左手・左利き用の品物が心地よい

断片C:発想の転換―

 恵まれた者は感謝の気持ちを忘れてはいけない

 感謝の気持ちを抱けば、その喜びを分かちあう気分になる

断片D:結論―

 互いを思いやる、些細な便宜の積み重ねの中にこそ、人間の幸福は見出される

 身の回りの些細なことから世の中を見直してゆこう

 

※注1:メモ用紙―チラシの裏を利用した、お手製の用紙。大きさは、外出時用は文庫本ぐらいのものを二つ折りにして使用。下敷きがなくても困らないように、二枚重ねぐらいにしている。いつもポケットに入れている。一ページずつ使用する。

家用は、その半分の大きさ。ひとつの小型バインダーの下に大、上に小をはさんで置いてある。使用時は随時そこからはずして使う。

使用後のもの(便宜上"カード"と呼ぶ)は、専用の"貯金箱"にクリップでまとめておく。

※注2:私は、ブログの原稿はみなメモ帳に書いている。これだとタグを打ち込んで置けるので、そのまま原稿として新規投稿欄に使える

 

このアメーバブログは4月からhtmlタグが使えるようになった。以前はここ専用に文字式のタグを打ち込んでいた。<太>とか<青>とか。

そのため、前回はえらい目にあった。記入の方法が変わっていたので、先に書いていた部分がみんなやり直しになってしまった。あららっ。

でも、これからは他のブログと同じ感覚で下書きして置けるので、楽になった。やれやれ。

再開します

4月18日以降、マシン・トラブルで更新できない状態が続いていました。

それ以前からしばらく更新が途切れていたため、一ヶ月以上のブランクとなってしまいました。

お詫びします。

ごめんなさい。 m(_ _)m


またボチボチ再開しますので、これからもよろしくお願いいたします。


予定がどんどん狂って行きますが、何とか修正したいと考えています。

ですが、どうなることやら・・・。


あまり決め付けずにちんたらやってゆく方がかえってうまくいくのかもしれませんね。

では。 c(^0^)y /~~

何を書くか―オレ流ブログの書き方・その2

<レフティやすおのオレ流ブログの書き方・その2>

前回の、主な流れ―アウトラインに則って、それぞれの項目について見てゆく。
現在(3月27日)書きかけの『お茶でっせ』の記事「人間の幸福左利きの幸福」を例にとって説明してみよう。

 

1・何を書くか考える(テーマと仮題を決める)

 

本来、ブログをやろうという人なら自分の書くブログに関してはメイン・テーマを持っているはずなので、そのテーマに沿ったものの中から個々の記事の題材を拾い出して書くことになる。

 

私の場合は、左利きがメイン・テーマだ(『お茶でっせ』『新しい生活を始めよう!』)。他にも本・読書(『お茶でっせ』『本屋の店長日記』)、物書き(『作文工房』)、生活改善&人生論(『新しい生活を始めよう!』)など。

そこで、この左利きのテーマに沿った記事を書く。


テーマに沿ったネタを見つけたら、もう書けたようなものだ。
ネタの拾い方・集め方についてはまた後日検討してみたい。

 

今回は二つの言葉から思いついた考えについて書いてみようと思っている。
それは、おおざっぱに言えば、些細なことが幸福につながるのだという言葉と、ささいなことをおろそかにすることが社会をダメにするという言葉の二つ。
これらを基にしてそこから導き出される、些細なことから左利きの幸福を、という結論を述べようというやり方。

 

言ってみれば、演繹法と呼ばれるものである。一般的事例から論理によって特殊事例にたどり着くというもの。三段論法というのが代表。風が吹けば桶屋が儲かる、という奴。どうして風が吹くと桶屋が儲かるのかというと、ここに大きな論理の飛躍がある。以下、省略。

逆に帰納法と言うのがあって、これは個々の事例の積み重ねから一般的な法則を導き出す方法。
夏目漱石の『草枕』の冒頭の部分、「知に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」を例に挙げている本もある。
(また、知ったかぶったをしてしまったが、多分あっていると思う。)

 

まず仮の題を決める。

初めにタイトルを決めることで、今日書こうとするものが明確になる。
書き始めにおいては、まだ仮の題―仮題である。最終的に最もふさわしいものにすればよい。

 

何について書くかが決まっていないと時間ばかりかかって成果が上らぬ。
方向が決まらぬとどこへ行けばよいかわからない。
紹介文か、考察文か、まず目標―ゴールを決める。

 

今回は、考察文だ。<左利きを考える>、これがカテゴリとなる。

元ネタとなる言葉があるので、これをまず書き出す。―いよいよ本文の下書きを書き始める。

 

以下、次回。

主な流れ―オレ流ブログの書き方・その1

<レフティやすおのオレ流ブログの書き方・その1>

まず主な流れアウトラインを箇条書きしてみる

1・何を書くか考える(テーマと仮題を決める)
2・メモを取る(チラシの裏を利用した手製のメモ用紙&パソコンのメモ帳を使用)
3・取材する(主に本・雑誌・新聞、インターネットでホームページやウェブログなど)
4・パソコンのメモ帳に原稿を書く
5・画像を用意する(画像を載せる時)
6・原稿を広げる(原稿の首尾を見る―原稿段階の最終チェック)
7・各ブログ・サービスの投稿画面を表示する
8・原稿をコピーして載せる
9・記事を修飾する―まな板(各サービスのプラットフォーム?)上で、原稿の文字をそれぞれのサービスにあわせて、絵文字を入れたり、文字に色づけしたり、サイズを変えたり、画像をアップしたり、リンクを張ったり、カテゴリを登録したり、等々。
10・確認する(プレヴュー画面で、最終チェック)
11・保存・投稿する(出来上がり)

ざっとこんな感じか。多少の前後はあるが、基本的な流れはこんなものだろう。

少し注釈を加えるとすると、パソコンのメモ帳を使う点ぐらいか。
昔はパソコンで原稿を書くといえば、ワードを開いて使っていた。しかし、ブログの場合は、タグを打ち込むのでメモ帳が便利そうと気付き、パソコンのメモ帳を使うようになった。

タグも原稿を書く過程で最低限度のものは打ち込んで置く。太文字や赤や青の色文字、リンクなどは基本的にどこのサービスでも使えそうなものは、あらかじめ原稿を書く段階で織り込んでおく。

この辺の感覚は、齋藤孝氏の言う三色ボールペン方式だといえば、今の若い人にもすぐ理解していただけると思う。
最重要は赤文字比較的重要なポイントは青文字私的なこだわり部分は緑文字など。あるいは太文字や大文字を使う、他に適宜、斜体文字下線を入れるなど、だ。

公私を分ける文末の表現―オレ流ブログの書き方・番外編

これから時々思いついた時に、私流のブログの書き方について書いてみようと思います。

<レフティやすおのオレ流ブログの書き方・番外編>

文体(文末の表現)について―

一応自分のなかで決めていることなのですが、告知に当たるものや「お茶でっせ」などの左利きに関する文章、「新しい生活を始めよう!」での提案の文章では「ですます調」を使い、それ以外の文章では「…である/…だ」という文末にしているつもりです。

公的な文章私的な文章とでもいいましょうか。読者を想定するものと、そうでないものともいえます。
あるいは、公的な記録や公に向かっての情報発信の記事と、私的・個人的な覚書や日記的文章とでもいいましょうか。

どちらかに統一する方がよいのかもしれません。読み手にとっても書き手にとっても。
ただ本来は、ですます調で書いているわけではありません。
メモや下書きなどはすべて、「…である/…だ」式に書いているのです。
それを逐一書き換えています。
そのほうが丁寧な感じを与えるのでは、との考えからです。

実際はどうなんでしょうかね。

一時はですます調一本だったときもありましたが、変化をつける意味で変えてみたことがあります。
それ以来、自分の中で書き方を変えてみるのもいいのかな、と思うようになってきました。

最近は、先に述べたようなやり方で固めていこうと考えています。
公私をはっきり分けて書く方がいいような気がしています。
読んでもらうことを意図して書く、ということでしょうか。

個人的なことですが、とりあえず書いておきます。