レフティやすおの作文工房 -34ページ目

このブログの目的、書こうとすること-その2-

当初この「作文工房」の「作文と読書」で書こうとしていたことは、二冊の『読書力』(齋藤孝の『読書力』岩波新書(2002)とハイブロー武蔵の『読書力』総合法令(1999))という本を読んで、読書力を向上させることが作文力を向上させることになるよ、ということでした。

そして、まずそれぞれの本から学んだことを書いてみようとし始めました。ここで、ストップしてしまいました。
申し訳ない気もして「読書感想文を書く」という一文をはさんでみたのです。

いずれ齋藤孝の『読書力』とハイブロー武蔵『読書力』から学んだことを書いてみようと思います。

次に始めたのが、「作文力を鍛える」です。
ここでは、何でも作文に関するお話を書いてみようと思っています。ただの愚痴になるかもしれません。あるいはもっと有意義なことを書けるかもしれません。

「物書き人生」―これは、切羽詰って始めたものでして、自分の今までの書き物の経験を回想するものです。私を知るいい機会かもしれません。(エッ、誰も知りとうないって。ハッハッハッ! (-_\)

「ブログ」―これはまた範囲が広い。このブログや他のブログの話など。
いずれは自分流のブログの書き方というものを書いてみようと思っています。また別にテーマとして立てるほうがいいのでしょうか。

―というのが、今までのこのブログの様子です。
今後どういう形で更新してゆけるかわかりませけれど、せめて週一ぐらいは書き続けたいと思っています。
乞う、ご期待! というところでしょうか。 o(^v^)o

このブログの目的、書こうとすること-その1-

いやーっ、たいへん永らくごぶさたです。
どうも、思うように更新できません。
色々理由はあるけれど、結局のところ、ここのブログは目的が二次的なわけです。
たとえば「お茶でっせ」は、左利きと読んだ本の紹介など、「店長日記」は「本屋」の紹介、「新しい生活」は生活を一新しよう、といった具体的な目的があるわけです。
それに引きかえ、こちらはどちらかというと、そのときそのときの作文に対する不満や思い付きを吐き出す場所としてスタートしています。
もちろん作文力を高めたい、という意識があって、そのための方法を自分なりに極める場として考えているわけでもあるのですが。

当初の予定していたことが、様々な事情で思うように更新できず、考えが乱れています。
この辺で、少し整理してまとめておきたい、方向性を確認しておきたいと思います。

読書感想文を書く

子供(あるいは大人でも)が本嫌いになる一番の原因は、読書感想文を要求されることにあると言われる。

夏休みなどに学校からこれこれの本を読んで感想文を書きなさいといった宿題を課されることがある。、あるいはいついつまでにこれこれについて書いた本を読み、問題点をリポートせよといった類の課題を与えられる。あれだ。

本を読ませたい人がいて、読書感想文を書かせることで本を読んだことを確認したいのだろう。あるいはもう一段進んで、本を読んで何が書かれているのか読み取る力を養成したいのであろう。もしくは、本に書かれていることをきっかけに物事を考えるという習慣をつけさせたいのかもしれない。

それはそれでよい。

ところが、そういう読書感想文の中で、ダメなものの典型として指摘されるのは、こういうものだ。
すなわち、本のあらすじをかいつまんで紹介し、最後におもしろかったというような感想を一言添えるもの

しかし、考えて欲しいが、本のあらすじ、または概略を説明できるということはその本を読んだからできることであり、要点を理解したからできたことである。
ということは、あらすじを書くだけで、本来の課題はクリアしているはずである。少なくとも最低ラインは十分に満足させていると考えられる。

ただ、あらすじはいろいろなところから情報を得られる。どっかの誰かの文章を丸写しにしているだけかも知れぬ。

そこで感想を要求するのだろう。
あんたはどう思ったのか、どう感じたのかを。
だからこそ、紋切り型の一言感想では、その証にならぬゆえ否定される

プロジェクトの一環として資料を読み何か知恵を出せというのならわかるが、子供の宿題としての読書感想文なら、まずは、あらすじを書けるだけでも良いのではないか。
第二段階として、どの部分のどういうことにどう感じたかどう思ったかを書かせればよい。一番心に残ったのはどういうところか、など。

所詮、読書にとって感想文は二義的なことだ。
読書はおもしろい、何か心がわくわくする。それでいいではないか。
とにかく、感想文を書くことが負担になって読書嫌いが増えるのだけは何とかしたいものである

*
読書感想文を書くときは、
まず一番に、本のあらすじを書こう(梗概)
そして次に、自分の心に残った、響いた箇所を抜書してみよう(引用)
三番目に、その部分のどういう点が気に入ったのか、気になるのか、何を感じたのかなどを、ひとつひとつできる限り具体的に書いてみよう(解説)
どんなささいなことでも良い、人が聞いたらどう思うか、など気にせずに、正直に書いてみる。気負うとダメである。人に良く思われようとか、高尚に見せようとしても、どうせぼろが出る。経験のないことはすぐにばれる。

あくまで自分に素直に、その時点のベストをぶつければよい
それをくり返すうちに自然とレベルが上ってくるものだ。
それが人間というものの偉大さであり、継続は力といわれる所以(ゆえん)である。

初めての読者

今日初めて読者がつきました。
うれしいものです。

ton0826さんです。

メッセージ:なるべく沢山のブログの読者に成るべく挑戦中です
よろしくお願いします


とのこと。
このシステムをよく理解していないのですが、初めての読者ですので、もちろん、こちらこそよろしく、です。

我が物書き人生―その1―

ネット接続の不調などいろいろなことが起き、更新が思うように進まず、何を書こうとしていたのか定かでなくなりました。
いったん他のテーマをはさんで、更新を続けることにします。
こちらは、新たに始めたブログの中でも比較的訪問客が多い方なので大事にしたいと思っています。

*
我が物書き人生について綴ってみよう。

初めて自主的に何かを書いたといえば、中学一年生の時の「絵物語」だろう。

隣の席のA君が掌に入るぐらい?の大きさの自作の「週刊漫画雑誌」を手作りしていた。
当時は少年雑誌も既に主流は、少年サンデー、マガジン、キングなどの週刊漫画雑誌であった。
それをまねて自分ひとりで何本かの連載マンガを書き、一冊の本にしていたのだ。週刊で作って学校に持って来て見せてくれるのだ。
非常に良くできていた。

私も真似して作ってみたくなった。私は今でもそうだが、いいなと思ったらけっこうすぐに真似したくなる方だ。

ところがマンガが、絵が描けない。そこで始めたのが、へたな絵を一枚描いては後は文章で綴って行くという、言ってみれば絵物語の方法だ。
絵物語といえば、「少年ケニア」や「少年王者」といった山川惣治の作品に代表されるように、子供たちの間で一時期大流行したもので、マンガ全盛になる前は少年雑誌のメインでもあった。ああいう感じだ。

これで、ミステリとSFの二本を書いてみた。
当時、学校の図書室で借りて読んでいた少年少女ものの翻訳もののミステリ(当時は探偵小説と呼んでいた)とSF(当時は空想科学小説と呼んでいた)の影響だ。
ひとつは、アーサー・C・クラークの『火星の砂』の少年版『火星の砂の秘密』をヒントにしたもので、火星探検もの。当然、火星人が登場する。
もうひとつは、たしか太平洋上の孤島から水陸空(両用ならぬ)三用の乗り物(当時大人気のテレビ番組「サンダーバード」の2号とぺネロープ号を足したような)にのって、東京に私立探偵事務所に通ってくる、大富豪の息子の探偵物語。
こちらは、たぶんに、「サンダーバード」とクリスティーやクイーンやクロフツの少年少女もののミステリを読んでいた影響だろう。

我ながら良く覚えているものだ。あのときに使っていたわら半紙(今で言えば、コピー用紙のようなものだが、もっと安っぽいもの)の感触が思い出される。何かの裏を使っていたような気がする。ノートの切れ端を使えるほどの余裕はなかったはずだ。

文章を書く場合によく言われる方法に「起承転結」という言葉がある。
これで言えば、起承の部分は何とか書けたのだが、肝心の物語を閉めることができない。
尻切れトンボという奴。
途中まではめっぽうおもしろそう?なのだが、で、その後どうなるの、という部分が書けない。
まあ、この辺が、才能のなさなのだろうが…。

これが、一年の三学期の話であった。

文章を書くのが怖い

最近めっきり文章を書くのが怖くなって来ています。
「レフティやすおの本屋店長日記」でも先日書いたのですが、本の紹介文を書くのが怖くなっています。(※「紹介文を書くのが怖い」

紹介文を書くということは、紹介する対象についてどれだけ自分が理解しているか、が明らかになるということです。
自分の理解力が試されるのです。

もしとんでもなく的外れな紹介をしていたらどうしよう。大恥をかく。「舌かんで死んじゃいたい」(古いなあ、このフレーズ。ご存知でしょうか? 若い人はご存じないかもしれませんね。)気分になるでしょう。
いや、ホントのところ、もっともっと真っ暗、深刻です。
そこまでいかなくても、ずれた紹介をしていたら読む人に申し訳ないなと思うのです。

元々私は頭がいいわけでもないし、読書家というわけでもなく、単なる本好きにすぎないわけです。
その程度の人間の書く文章なのですから、気張らずに書いてゆけばいいと思うのです。しかし、そうは言ってもやっぱり人一倍負けん気は強い、見栄は張りたい、「大卒」には負けたくない、というわけです。
根が貧乏人というか小人なのですね。

でも、そういう反骨精神というか反抗心というか、そういうものが向上心にもつながってくるわけで、バカにはできません。
今の私は、一冊でも多くの本を読み、「読書力」をつけ文章力を高めたい、と日夜理想と現実のハザマで苦闘しているところです。

文章力は読書から―二冊の『読書力』

作文に必要な文章力を身に付けるには、まず文章を読むことです。
お習字でも大切なのはお手本です。
まねるべき良い見本があって初めて何が良いのかという審美眼、自分の基準ができるわけです。
あとは、その基準に向かって近づけるように努力すればいいのです。

同様に文章でも、お手本となるべきものを見つけることが必要です。自分にとって何が一番か、どういうものが良い文章か、という基準を見つけることが第一です。
そういうお手本をどうして探すかというと、それはいろんな人の文章を読んでみることに尽きます。

要するに読書です。

そこで、読書について考えてみましょう。
ということで、やっと本題の二冊の『読書力』が登場します。

一冊は、『声に出して読みたい日本語』がベストセラーになり、いまや売れっ子の書き手、齋藤孝『読書力』岩波新書(2002)。
もう一冊は、私がひそかに敬愛する書き手、ハイブロー武蔵『読書力』総合法令(1999)です。

次回は、それぞれの内容を簡単に紹介しながら、読書について考えます。

お知らせ「ココログガイド」で紹介&今週お休み

前回お話しましたように、ココログ「レフティやすおのお茶でっせ」が、1月10日更新の「週刊ココログ・ガイド」で紹介されました。

一週間、恥を晒すことになりました。
初日10日は休日ということもあり、一日で従来の一か月分の訪問客数を上回る、大盛況でした。
カウンターが壊れているのかと思うほどでした。
こういうのをうれしい悲鳴というのでしょうか。
昨日二日目以降はまた元の木阿弥に近い展開になっています。
とはいえ、まだ通常の2,3日分に匹敵するアクセス数はあります。

まだまだ一般的ではないマイナーな話題である、左利きについて一年間書いてきた成果の賜物と、ある人から言っていただきました。
自分でもそう思います。

そして、やはり見ている人はいるのだということ。
さらに、機会ある限り、自分自身をアピールすることも忘れてはいけないと思いました。

これからも自分にできる範囲で、精一杯文章を磨いて、自分の意思を伝えてゆこう、と改めて決心いたしました。

というわけで、大変申し訳ないのですが、せっかくの好機ですので今週はこちらをお休みして「お茶でっせ」に専念しようと思います。

では、よろしくご了承お願いいたします。

うれしいお知らせ

お正月早々うれしいメールが飛び込んできました。

私がココログで左利きと本の話題をテーマにやっている「レフティやすおのお茶でっせ」というブログがあります。

「「週刊ココログ・ガイド」にてあなたのココログをご紹介させていただきますこと、ご報告させていただきます。」というココログ事務局からのお知らせです。

 あなたのサイトをより多くのユーザーにご覧いただくご支援をさせていただけたら幸いです。
これからも、ココログをよろしくお願いいたします。


とうとう順番がやってきました。
どんなふうに紹介されるのか、ちょっと不安な気もしますが、まあ、とにかくうれしい気分です。
少しでも多くの人に私の考えを伝えることができるチャンスです。

いままでコツコツと書いてきたことがさてどれぐらいの人に受け入れていただけるか多少の疑問もありますが、とにかく作文を続けてきてよかったと思います。
もう少し文章を磨いて、よりわかりやすくよりストレートに心に届く文が書けるように努力したいものです。

では、1月10日の「週刊ココログ・ガイド」を、乞うご期待!

アメーバブログの位置づけ

アメーバブログを初めて知ったのは、山川健一さんの名でいただいたメールでした。

アメーバブログから出た本の書評を、ということでした。
アメーバブログってなんだい?と思い、検索して色々確認しました。

なかなかおもしろそうなのでいつか試してみようと思っていました。

書評をやるのがいいのかもしれません。
迷っています。
なぜなら私の場合は単なる紹介という感じで、評などと呼べるものか大いに疑問です。
確かに、批評的なこと、あるいは評価となるような言葉も使いますが、書評と呼べるほど立派な文章は書けそうもないと思うからです。
基本的には、多くの人に読んで欲しいなと思う本のみを扱ってきました。
本の応援という感じです。
中には、なんだと思う方もいるかもしれません。

それに、「作文工房」なんてタイトルもつけてしまったし、一応の目的も書いていますし、…。
タイトルなんかどうでもいいようなものですが、名は体を表す、といいます。

まあ、もう少し様子を見てみようと思います。更新がうまく行かないようならまた考え直してもよいと思います。